新デフォルト

お盆のこの時期って、何もない、穏やかな日々だったと思う。そうじゃないときもあったのかもしれないけれど、比較的穏やかで、台風で荒れる季節ももうちょっと後、みたいなイメージだったけれど。なんだか災害だらけ。やはり地球温暖化とかが目に見えて、体感できるくらい歯止めがきかなくなってきているということなんだろう。

新型コロナウイルスも歯止めがきかない。去年の今頃、一年後もまたコロナで帰省できないとか、夏休みを楽しめてないなんて、思いもしなかった。お正月もお盆も、親戚が田舎で集まることはできなくなるのか。90歳をこえているおばあちゃんに会いたい。でもなかなか会いにいけない。

新型コロナがまだ武漢で猛威をふるっていて、まだ国内ではそう身近に感じていれなかった去年の最初あたりかな。職場で隣に座っていたお姉さんに、

「あの頃はよかったわね。隣の席に座って仕事してたね。そんな時代もあったわね」

なんて話してるかもしれないよ、と言っていた。

ほんとにそんな感じになってきてしまっている。私はもうその数か月後、去年の春から出勤はほとんどしなくなり、在宅勤務がデフォルトになった。まだ子どもたちが小学生で、帰宅時には家にいてあげたいと思っていた私には、ちょうどいいのだが、在宅ばかりになると本当に運動不足だし、コミュニケーション能力も格段に落ちてしまった。仕事の時間にも際限がなくなって、なかなか家庭との両立が逆に難しかったり。でもそれらもまた、新デフォルトに少しずつ対応して、順応していくのだ。

人間はどんどん進化する。その場の状況に応じて、少しずつ色々変えて順応していけるものだ。

子どもたちはもう、祭りでにぎわう画面なんかをテレビで見ようものなら「うわっ。密だな!」という反応だ。コロナ以前の古き良き時代を謳歌してきた私にしてみれば、「ああ!この賑わい、いいよね!また祭り行きたい!」という感情が先に出てくるのだが。

しかしいくら人間が変化に順応できるといっても、この地球温暖化や環境破壊などは、どうにかしないといけない。

でもこの新型コロナが意味するものを考えたり。なんというか。自然の摂理なのか、怒りなのか・・。人間の愚かさとか。必要なことなのかとか。漠然と。言葉にならない大きな力というか流れというか。そういうのも感じるような気がしてみたり。めっちゃ無責任な、自分だけの感覚で。

うちの宇宙好き子どもたちは、宇宙開発のことやら宇宙旅行、移住計画などなどいろいろ想像しているし、実際宇宙はどんどん身近になっていると感じる。が、私たちの世代ではきっと一般人が宇宙にいくことはできないだろう。子どもたちの世代でさえ、やはり一般人が気軽に、というレベルではまだないのではないだろうか。孫の世代でようやく少しは気軽になってくるのかしら。それまでに地球はどうなっているか。日本は沈没していやしないか。平均気温が何度上昇しているのか。より一層勢力の増したハリケーンで、既存の日本の家の構造ではきっと何も守れなくなるだろう。

どんどん適応していかないと守れない。ますます、どんどん変化していく力が求められるだろう。

子どもが生まれてから、以前は思いもしなかった未来予想図とか、こうなっていくだろうと想像するものが、私の頭の中で増えた。いろんなものの捉え方や見方、想像する方向性も変わってきた。たぶん以前はそんなに未来のことを考えなかったのかもしれない。でも今は。

オリンピックを見ても、ああ、この国という概念もなくなっていくのかな、とか、男女というくくりも変化していくのかな、とか思うようになった。タイヤなんてなくなっていくんだろうし、ロケットも少なくなるだろう。アスファルトにかわる別な素材はないんだろうか、あったとしてもコストが高すぎるのかな。

この仕事はなくなるな。あ、この仕事もなくなるよな。逆にこの仕事はもっと需要が高まるな。こんな仕事、新しい仕事になるかもな。

変化を楽しみながら、残していきたい伝統的なものも大切に伝えていける人になりたい。

とりあえず今は、この大雨の被害がこれ以上拡大しませんように。

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