夜、すやすやと眠るふたりの寝顔を見ていると、生まれた頃のまんまだなぁ、なんにも変わってないなぁ、と思う。
昨夜はそうやってふたりの顔を見ながら、モキチの横で寝入ってしまって、ふと気がつくと夜中で。
あーあ、やっちまったなぁ、と、顔を洗って歯磨きして、洗い物をして。着替えて、ユキチの布団に潜り込んだ。が、今度はなかなか寝付けず(笑)
顔を眺めながら、色々思い出した。
ふたりが生まれてすぐに入ったNICUが、携帯禁止だったからだ。私が先にひとり退院してから、カメラを持って行ったときだけ、数枚だけ撮影した。
妊娠中長いこと入院した大学病院の産科の産前の大部屋は、和気あいあいとしていた。他の病棟と違い、産科はいつか必ず退院する。希望に満ちあふれた病棟なのだ。
一度目の入院のときは、なにもわからない新参者だった私も、二度目の入院はまず妊婦用のICUに入れられ(完全個室なのでめっちゃ淋しい
)、やっと大部屋に移ると、一度目の入院の時に一緒だった人が産後部屋にいたり、すでに看護士の皆さんや掃除のおばちゃんの名前まで知っていたのもあって、すぐに馴染み、隣の入院患者はどんどん退院しては新しい人が入ってきて、他の大部屋の双子・三つ子ちゃんママさんたちも仲良くなったりしながら、あっという間に古株になった。
いよいよ最終目標としていた、胎児たちの肺も成熟してくると言われている週数を無事突破し、帝王切開の手術の日も決定して、さあ、産むぞ!モキチ、ユキチ、いつでも出ておいで!と腹がすわった頃、夜中にすぐさま破水し、ホントに出てくることになってしまった(笑)
でも、帝王切開の日は親が選べることに、なんだか運命を勝手に決めるみたいで嫌だったから、自分たちで決めて出てきてくれたことに、緊急帝王切開でバタバタになりながらも、ほっとしたのを覚えている。
生まれて、ふたりがお腹からいなくなったら、とっても淋しくなった。
お腹の中でも、ふたりの動きの特徴から、どっちがどっちかわかるようになっていたので、うわあ、ユキチ!そこで足をのばさないでくれー!とか、あ、このこぶしはモキチだね、と、腹の表面にぽこっと出てきた握りこぶしを撫でたり、ずっとずっと嬉しいときもつらいときも話しかけていたのが、誰もいなくなって、大部屋から、手術当日は一人きりの部屋になって、すごく淋しかった。
翌日から歩くリハビリを開始して、最初は車椅子でNICUまでの行き方と入り方を教えてもらって行って、保育器に入ってたくさんのコードやらチューブにつながっている姿を見て、大泣きしてしまった。一気にホルモンバランスの崩れた私は、私なんかが双子なんて産んだのが悪かったんだ、他の大きいお母さんならもっとしっかり元気に産んであげられたのに、と、めちゃめちゃ負のスパイラルに2日くらい陥った。
さらに追い打ちをかけたのが、「産後部屋」だった。
普通の産後部屋は、母子共にいて、大変さととまどいと喜びに満ちあふれ、笑顔いっぱいの見舞い客がきて、大にぎわいなんだが、
私が入った産後部屋は、生まれてきた子がNICUに入ってしまった、または母子一緒にいられない母親だけの大部屋で、すべてのカーテンが閉じられた、それはそれはひっそりとした静かな部屋だった。
私のように、生まれる前からNICUに入るだろうと知っていた人はほとんどいなくて、まだまだ生まれるはずじゃないのに早産してしまった人たちもたくさんいて、ショックを受けている上にホルモンバランスも崩れているので、見舞いに来た実の母親らしき人にきつく当たって泣きわめく人もいたりして、その声が静まり返った部屋に響き、すすり泣く音もあちこちから聞こえた。それでも、おっぱいを吸うことができる赤ちゃんがNICUにいる人は、数時間おきに呼ばれ、そのたびに嬉しそうにしていた。
そんな部屋も、食事の時だけはカーテンが開く。よっぽど無理な時は閉めていたが、だいたい食事の時はみんな開けて、ぽつりぽつりと話をしたりした。
NICUにいると、他の病院や産科では対応できない超低体重児も搬送されてくる。同じ大部屋に入ってきた新しいママさんは、一緒にご飯を食べながら、「600グラムで産んじゃったの。でも生まれたとき、産声をあげたのよ」と話してくれたりして。でも夜中に急にバタバタしたり、次の朝には突然ベッドが空になっていたりして、何かがあったのは明らかなんだけど、みんな、触れないようにする。どうしたんだろうね、と隣の人とこっそり言うくらいで。お母さん自体はみんな数日で退院してしまうので、それほど仲良くはならないかな、という印象。
私は毎日、一生懸命絞った母乳を持って、面会が許される間中、NICU(GCU)に居て、そのまま椅子で寝たりしていた。
私がまだ入院中に、ふたりは色々な検査をし、治療をした。ユキチの心臓の動脈菅開存症もわかり、すぐに治療を始めたのが幸いして、胸を開く外科手術をせずに完治した。早産の子に多いということもこの病名も、双子で早産になる可能性が高いからこそ、ユキチの主治医が話してくれた時すでに知っていたので、必要以上に慌てず騒がず、冷静でいられた。(出産のときも一人一人にそれぞれ小児科の主治医が立ち会った。双子の帝王切開手術のときはそれだけで大所帯なのだが、予定通りの手術日だったら、見学の学生たちも数名立ち会うことになっていたので、わさわさ手術室にいたんだろうな、と今さら思う(笑))
NICUの費用は助成を受けないと、高額すぎてとても払えたものではないが、退院するまでにきちんと手続きをしないと一旦払わないといけなくなる可能性もあるとかで、急いだほうがいいと先輩双子ママさんから聞いていたので、すでに調べてあり、生まれてすぐ出生証明を病院からもらうとその日のうちに相方が出生届を出し、すぐに色々申請やら届け出をしに走り回ってくれた。生まれる予定ではなかった隣の人は、まだ名前も決めておらず、彼女より後に産んだ私がもう出生届を済ませたと聞いて驚いていた。予期せず、早く生まれてしまった子を持つ彼女たちは、本当に大変だっただろうと、今更ながら思う。(当時は私もいっぱいいっぱいすぎて、そんなこと思わなかった)
私は早くからの長期の入院で、管理され、超低体重児ではなかったし、目標週数もクリアしていたこともあってか、障害がでることはなかった。が、彼らが生まれてから、それまで知らなかった世界がどんどん開けたのか、うちの子、障害があるのよ、という人との出会いも多くなったし、障害がある人をサポートしていらっしゃる方との出会いも、学びの場も多くなった。知っていくと、今は健康な私たちでも、今後、誰がどんな障害を抱えるようになるかもわからない、ということに気づいた。
あ、最初思っていたことでない方向へきてしまった。
ここで一旦やめよう。
NICUのこと、子供のことは今までにも書いたことがあったが、産後部屋のこと、NICUに入ることになった親のことは書いたことがなかったな、と思い、どんどん薄れていく自分の記憶の自分のメモのために書きました。
そしてあらためて、今ふたりが元気に育ってくれていることを奇跡のように感じながら、日々過ごしたいと思うのでした~。毎日ぷんぷん怒ってるけどね(日々反省)![]()
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